Childhood's End

映画と本の感想など

麻倉ももの「強さ」について

本記事は麻倉ももさんについて最近思うところのポエムです。
 
◯守られるべき存在
 現在放送中の『クロムクロ』というアニメをご存知でしょうか。要素だけ抜き出してみると、黒部ダムにある研究所にある謎のロボット、宇宙から襲来する敵、戦国時代から蘇った侍。まだ放送が開始したばかりで全体像が見えていないのだが、このアニメの中で出てくる白羽小春(以下:小春)が可愛い。ヒロインの妹であり、時代劇を好んで見ている影響のためござる口調のキャラクターである。闘う力を持たず、ヒロインの妹という物語の根幹には関係ない場所に居るからこそ、シリアスな物語の一服の清涼剤となっている。この小春の口癖に「~でござる」がある。彼女は時代劇が大好きで、その影響でこのような口癖をしている。山口 益己『日本語の語源探訪』によると、富山の五箇山地方の方言では「ござる」は「在宅の行為中」が語源であると明かされており、これは勿論偶然の一致なのだが、小春の本質をピタリと表しているのではないだろうか。彼女が基本的に事件現場に打って出ないタイプのキャラクターであり、「在宅の行為」を体現しているキャラクターである(これを書いている途中で敵ロボットに誘拐をされたが、ここまで書いたので保留させて欲しい)。見た目、属性、口調からも小春は守るべき存在であり、家=帰るべき場所の象徴であることが表されている。この時、同じような口癖をしていたとあるキャラクターのことを思い出した、ここで私は乙坂歩未を召喚したい。
 
◯守られるしかない存在
 昨年放映された『Charlotte』の乙坂歩未のことを思い出して頂きたい。本作は、特殊能力を持つ生徒達が通う学園でのSFバトルストーリーであり、歩未は主人公の妹であり、小春と同様に「ござる」を使う。そして、小春と同様で守られる存在だ。だが、小春と違うのは、彼女自体には闘う能力を持っているのだがその能力を制御出来ない。彼女の能力は発動したら周囲を崩壊させる。主人公達は彼女の能力が発動し死んでしまった世界を改変する為にタイムループをする。また、終盤には主人公が妹の能力を奪う。そういう意味ではやはり彼女は守られるしかない弱い存在であることに変わりは無いのだ。
 
だが、主人公は妹に救われている場面が多々あり、また妹が死んでしまった時には廃人同然まで落ちぶれる。それは唯一の身内だった(と思っていた)事が大きく寄与している。小春同様に守るべき存在であり、家族=帰るべき場所の象徴であるのだ。
 
 
また、小春も歩未も守られているだけの存在ではあるが、そのことに対して私は悲壮感を感じなかった。それは彼女達のフラジャイルな面を覆い隠した存在のためであり、その存在こそ、両キャラクターの声を担当した麻倉ももである。
 
麻倉ももの強さ
今上に挙げたキャラクター2人は、厳しい世界の中で守られる存在である。彼女達は儚く危なげであり何より「弱く」描かれるが、その中で元気に健気に生きている。その弱さは闘う意志や能力の有無に関わらずそうあらざるを得ない悲哀である。
 
また、キャラクターの設定上では、彼女達は弱いが明るい存在である。だが、その明るさを最大限に視聴者に分からしめるのは、キャラクター設定の外にあるプラスαから発せられる「強さ」だ。その「強さ」の源は声優・麻倉ももの一本芯の通ったハリのある声、麻倉もも本人の明るいイメージの二点であると私は仮説を立てている。麻倉ももがもし小春、歩未のどちらだけしか演じていないのであればこのような仮説は抱かなかっただろう(両作品の音響監督は異なる)。同時期に同じタイプの妹キャラクターを演じているのは何かの必然なのではないかと感じさせられる。そんな麻倉ももの強さをスタッフが感じ取って起用をしたのかもしれないと思わざるをえない。
 
麻倉ももの「強さ」について言えば、彼女の声をイメージが補強しているような構図である。声だけ聴いても勿論明るいイメージを持つだろうしそれでも十分かもしれないが、彼女個人についてを知っていれば、麻倉ももの強さをより実感することが出来るに違いない(どこかで続く)