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Childhood's End

アイドルグループHauptharmonieオタクのブログ。主にライブレポート。映画と本の感想も。

劇団クロジ第十五回公演『きんとと』感想

 8月24日から28日に劇団クロジ第15回公演『きんとと』を観に行ってきました。伊藤かな恵さんが初めて舞台に出るということで、全公演のチケットを入手して駆けつけました(どうしても外せない用事で1回見ることが出来なかったが初演と千秋楽はばっちり観れました)。

 

◯感想 

 舞台としては非常に重めのテーマを扱っていることを知った上で観劇致しましたが、覚悟していた以上に重かった(汗。ぶっちゃけ初観劇でこれはきつい!! ただ、重いだけではなくストーリーもしっかり作られていて楽しく観ることが出来ました。娼館での群像劇を通して娼婦、男娼達の人生模様が時に鮮やかに、時に残酷に描かれていました。

 進行しているストーリー(人間模様)が5つ以上あったので、初見では筋を追いかけるのに一杯一杯になっていたりしましたが、一つのステージだけでこの群像劇をまとめるのは舞台の仕掛けがしっかり考えぬかれていたからかと思いました。舞台の上に5つステージがあるような舞台装置を造り、照明の切り替えだけで話の筋が変わったことを端的に表すことができていました。照明の切り替えだけだと人の入れ替えをする手間も省けるし、視線が固定化されないので客が飽きないし僕も眠くならずに済みました(?)。

 

 本題の伊藤かな恵さんについてですが、かな恵さんは棗(ナツメ)という役で出演しており、ナツメは禿(かむろ)=遊女見習いの12歳!今年30歳になるかな恵さんがやるには年が離れすぎているのにも関わらずめちゃくちゃ12歳感あってビックリした。 

 親に売られて娼館に来たばかりは娼婦がどういた商売なのかも分からず、綺麗な面だけを見て喜んでいるナツメは見ていて微笑ましかったのですが、徐々に大人っぽくなっていくナツメをしっかり演じておりました。あと、これ完全に個人的なことなんですけど、かな恵さんが食事をしているシーンをあんなにじっくり観ることが出来たのは何だか嬉しかった。連判したオタクの方から双眼鏡を借りて箸をどう持っているのかも見れた。ただ、次第に娼婦という商売の恐ろしさに気が付き、娼婦になることへの恐れが強まっていく様子を演じているのを観るのは正直辛いところがあった。

 ナツメが死を選んだことについても触れないといけないのだけれど、その選択は物語上の必然が産んだものであるのではないか。禿というマージナルな存在で、娼館を見ていたナツメはどんどんどんどん追い込まれていたのが、彼女の死に触れた時に遅れて理解される。ナツメはどうして娼婦になりきれなかったのか、逃げなかったのか?何が彼女を追い詰めたのか。

 彼女が娼婦になりきれなかった理由は、雪路に「帰りたい」と話しているパート、絵描きとの会話で「一度でも働いちまったら、もう二度と母ちゃんに会えねぇなって思う」と話しているパートが表している。

  逃げなかった理由は雪路が何度も逃げようとして結局失敗していることを知ってしまったからであることは想像に難くない。自分よりも年上で、しかも男の雪路が逃げられない現実は、彼女から逃亡という選択肢を選ばせなかった。

 また、劇中で玉菱が結婚して娼館から逃げ出せたので、ナツメは絵描きに身請けを頼むが、そもそも身請けってそんなに簡単なのか?とググッてみたら全然簡単じゃないみたい。 

遊女の夫や家族が、彼女を売り飛ばして手にしたお金は、わずかな間に高利で膨れあがってしまいました。遊女が自分で稼いだお金で「足抜け」するのは実質的に不可能だったのです。
結局、頼りにできるのはお客だけで、彼らに多額のお金を、遊郭に支払ってもらうことで、「身請け」してもらうことはできました。しかし、この時、男性が支払う現代の価値にして何千万円というお金はビタ一文、遊女の懐には入りません。 

女の人生は学習の連続! 遊女は「身請け」後も大変な人生を歩んでいた|「マイナビウーマン」より

  この記事が本当なら木澤の甲斐性が凄いこと、身請けはかなり珍しいことなのだと分かる。何千万も払えるような男がゴロゴロいるようなことは考えにくいと思います。

  また、睦もナツメを追い詰めた原因の一人だろう。顔のせいで体を売らずにそこにいられる睦を激しく罵倒するナツメを思い出して欲しい。ナツメは睦が身体を売っていることを知らないのだろうか、もうそんな事実はナツメにとって関係がなくて、ただただ目の前にいる、体を売らずに娼婦として好きな男と過ごしている睦の存在がナツメを追い詰めた。

 だが、何度も娼館から逃げる男娼、身請けをしてもらった遊女、火傷のせいで客が寄り付かない遊女が揃うなんてめちゃめちゃ特異な状況だと思う。そんな状況だったからこそ、ナツメの精神は壊れていったのではないか。長期間真綿で首を締められるとはまさにこのこと。常磐の言っていた「地獄の時間はゆっくりだから、一日が百日みたいに思える」

*1

 

がナツメが置かれていた状況だとすると死なない方がおかしいと思える。あの時代人の死は現代よりも軽く、選択肢として““あり““だったのだろう。そんな追い詰められたナツメの絶望を演じる為にどれだけ彼女が悩んだのだろう。一介のオタクである僕には「私が悩みながら出した答え」とかな恵さんがブログで言っていた「答え」しか観ることが出来ません。何度も言うし何度言っても足りないのだけど、伊藤かな恵さんの演技については、声優になって初めての演劇とは思えないくらい堂々としていることだけは分かりました。正直な話始まる前は不安だったのですが、初演を観て確信しました。伊藤かな恵は千秋楽まで走りきれる!!と。初演ではとっくりを運ぶ時に倒すくらいで、台詞に詰まることはなく、12歳の禿を演じ切りました。

  とにかく、伊藤かな恵さんが舞台でナツメを演じきったこと、かな恵さんを選んで舞台に上げてくれた劇団クロジへ感謝しかありません。ありがとうございます。今年はまだかな恵さん主演の朗読劇もあって、本当に2016年はエポックメイキング的な年になるに違いないと思います。

  

ameblo.jp

 

 

 

 

*1:この台詞を聴いた時思い出したのは『アンダーグラウンド』という映画。この映画では地下の時計が実際よりも遅く動かされていた…

movies.yahoo.co.jp