Childhood's End

映画と本の感想など

『ジョン・ウィック:チャプター2』

 誰でも(は言い過ぎかもしれないが)子供の頃に「悪いことをしてると山姥が来るよ!」と親から脅かされたことがあるはずだ。これはルールを逸脱したり、悪いことをした人間は痛い目に遭うという教訓を、まだ道理を分かっていない子供に叩き込む為のある種のお約束として語り継がれている。そんな山姥、ブギーマンことジョン・ウィックが悪い子をガンフー(古典『リベリオン』のガン=カタミームを継ぐ格闘術)で懲らしめていくのが本シリーズである。

 前作では犬を殺したガキ達を文字通りファミリー共々血祭りに上げたジョンだったが、本作は昔自らが交わした誓約に従って再び銃を手にしてしまうところから始まる。絶対殺し屋から足を洗って一般人になろうな!と心に誓ったジョンが、どんどん危険な状況に巻き込まれていくのは余りに不憫でもあり(一回依頼を断ったら家吹っ飛ばされるくらい)、そんな状況に巻き込まれて輝いていく彼を見られるのが楽しみな二律背反。。。だが、そんなアンビバレンツな気分も、前作では控え目にしか出てこなかったガンフーが胸焼けを起こすくらい出てきてどうでもよくなってしまう(いいぞ、もっとやれ!!!って思ってた)

 前半は一方的に敵を蹂躙してカッコよかったジョンが、後半どんどん不利なシチュエーションに追いやられていき、敵に莫大な懸賞金をかけられNY中の殺し屋に狙われたりもする。そして、艱難辛苦を乗り越えた彼が破滅的な一発を放ってしまったあの場面は、彼の人生が隘路に陥ったことを象徴する強烈なシーンだった。ジョンが今まで居た世界から弾き出されてしまったあの瞬間は、銃で撃たれるよりも、ナイフで刺されるよりも痛々しく映っていた。表の世界では法律を犯したものは裁かれるが、裏の世界ではルールを侵した人間は最早あらゆる権利や属性を剥がされる。表の世界で言う戸籍を奪われ、裏の世界の公的な(と言うとおかしいが)サービスを何も受けられなくなった彼は、本作のラストで本当にブギーマン=”幽霊”となってしまう。

 今回は次作を想定しての終わりをしている気がするので若干の消化不良感は否めないが、また彼のガンフーが見られるならそれもやむ無し。待て、次回。