Childhood's End

映画と本の感想など

『ヒメアノ~ル』 誰が強者の「餌」だったのか

 
「なにも起こらない日々」に焦りを感じながら、ビル清掃会社のパートタイマーとして働く岡田(濱田岳)。同僚の安藤(ムロツヨシ)に、想いを寄せるユカ(佐津川愛美)との恋のキューピット役を頼まれ、ユカが働くカフェに向かうと、そこで高校時代の同級生・森田正一(森田剛)と出会う。

ユカから、森田にストーキングされていると知らされた岡田は、高校時代、過酷ないじめを受けていた森田に対して、不穏な気持ちを抱くが・・・。岡田とユカ、そして友人の安藤らの恋や性に悩む平凡な日常。ユカをつけ狙い、次々と殺人を重ねるサイコキラー森田正一の絶望。今、2つの物語が危険に交錯する。
(公式サイト「STORY」より抜粋)

 

 
 
 映画序盤ではあらすじ通りに、三角関係やストーカー?の話でまぁぬる~く進んでいたのだけれど、岡田とヒロインが行為中に出している喘ぎ声を外で盗み聞きしている森田の背中の横に、バーンと!映画のクレジットタイトル「HIMEANOLE」が出た瞬間、何かが壊れるような、裂け目が開いた。映倫のR-15マークも物語とは全然関係ないのだけれどかなりパンチが効いてて、今からヤバい事しか起こらないぞという核心が生まれた。
 
 転調してからはとにかく森田が人を殺して殺して殺しまくる。森田は殺人に対する躊躇いが一切無いし、殺す時も演出が淡々としてるから余計に際立つ。脅迫相手と婚約者を鉄パイプで殴ってから燃やすまでのタイムラグの無さもおかしい。自分の悪口を言った通りすがりの女性の家に押し入って殺してしまうし、押し込み強盗をした家に帰ってきたサラリーマンを刺した時のザクザクシーンを思い出すと鳥肌が立つし、警官を刺し殺すシーンや、ユカちゃんの隣人を拳銃でぶっ殺すシーンとかも目を背けてしまいたくなる。
 
 殺人描写以外にこの映画の怖いところは森田の全てを敢えて見せないところも挙げられる。パチンコで勝って店を出た時にチンピラにカツアゲされるシーンがあるのだが、あのチンピラ達は森田に殺されたのかも分からない。森田がユカちゃんを知った経緯も、付きまとってるだけだった理由もよく分からない。1ヶ月殺さずに居たのは何でだろうか。もしかしたら、今までもそういう風にじっくり付きまとって殺していたのだろうか。両親も殺してしまったのだろうか。と森田の底が全く見えない。
 
 映画終盤に岡田が決死の抵抗で森田の首を締めるシーンがあるのだが、その首を締めている紐状のものが、使われずにいたローターのワイヤーだったことも僕の映画体験史上でも屈指の情けないような悲しいようなシーンだった。あのシーンはもう笑うしか無いと言うよりも、躊躇いがちに笑ってしまった。戸惑わずに、豪快に笑ってる人がいなくてよかったと何故か安堵してしまった。
 
 日常(ムロツヨシ=笑い、ユカ=性)が非日常(暴力=森田)にじわじわ侵食されて、境目が見えなく無くなっていくところが怖い。だからこそ、余計に「お母さん~麦茶~!!」が、森田の喪ってしまった日常を象徴するとてつもなく哀しい台詞になるし、本当に辛いラストになっている。