Childhood's End

映画と本の感想など

【ネタバレ有】『10クローバーフィールド・レーン』

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恋人と別れた女性ミシェルは車を運転中に事故に遭い、気を失う。気が付くと見知らぬシェルターの中で目を覚まし、そこには「君を救うためにここへ連れてきた」と話す見知らぬ男がおいた。男はシェルターの外の世界はすでに滅びたと主張し、ミシェルと男の奇妙な共同生活が始まるのだが……。

 

◯前作とは全く毛色が変わっている

 僕の記憶が正しければ前作は基本的には、携帯電話の映像やビデオカメラの映像を組み合わせて作られている。モキュメンタリー方式の映画で、基本的視点で物事が展開していたので緊迫感を生んでいたような記憶がある。

 が、今作は打って変わって別種の緊張感と言うか、ぶっちゃけヒロインを助けた男・ハワードがサイコパス過ぎて怖かった。世界滅亡に備えてシェルター作る奴とか正直ドン引きなんですが。そんな男とひとつ屋根の下に過ごす緊張感がもう嫌で、途中良い人っぽい描きがされて、ごきげんな音楽で楽しい共同生活シーンが流れるのだが、それも曲が流れている3分くらいで終了。やっぱり狂ってたらしくてもう怖い怖い(核心に触れないような書き方をしているので抽象的になってしまいました)。

 

◯エアロックが一番安全だと思わせる

 この映画の舞台は主に3つあって、シェルター、エアロック、お外。それぞれ、シェルターはご飯も娯楽もあって安全だけど同じ家には危険人物が住んでいる。エアロックは何もないけど危険でもない。お外は何が起こるか分からないし、空気も汚染されててヤバイみたい。で、映画見ていて僕が一番落ち着いたところってやっぱりエアロックに居る時なんですよね。シェルターには狂人が居て、お外には汚染された空気があってで、エアロックが一番安全そうに見えるのがこの映画の怖いところだなぁと。エアロックなんて何も無いし絶対ジリ貧状態が約束されてるヤバイ場所なのにも関わらず、そこが安全だと一瞬でも思えてしまう。

 

◯伏線の張り方がちょっと…

 シェルターで同居していたもう一人の人物・エメットとの会話で、人生で後悔していることを話すシーンがあったのだが、その時にミシェルが自分と同じ境遇の女の子を救ってあげることが出来なかったと話をしていた(父親に乱暴に扱われていた女の子と自分の過去を重ねた)。何でそんな話をしたのか、それはオチでヒロインのある重大な選択を裏打ちする為だったからである。ヒロインが最後にする選択肢には、安全地帯への道と危険地帯の道のどちらもがあって…だけれども、どうして後悔している点で彼氏の話をしなかったんだろう…めっちゃ不自然と言うかね。

 

◯あらゆるフォームとは?

 日本での宣伝だけかもしれないのだが、宣伝文句で「奴らはあらゆるフォームでやってくる」ってあったんですけど、UFOタイプとエイリアンっぽいタイプの2種類しか出てきていないので拍子抜けだったり。これってもしかして、エイリアンに精神をやれちまった・ハワードの事も含んでるのかな? 

 

◯その他箇条書き

・ミシェルの運転している車が坂道を転落している合間合間に、タイトルとかクレジット挟みこむのよかった。転落シーンにメリハリが出ていけていた。

・ミシェルの機転のよさ。思い切りのよさ。戦闘センスの高さ。どこからきているの?

・ハワードは女の子達を殺していたのか?は解決されないままになっている。

・エメットは大学に行かず建築関係で働いていたの?シェルター作れる頭があるなら、大学に行けたのでは?クソ頭悪いなら、あのバスの下りも説得力出ていたきがする。

・防水カーテンを材料にしたお手製防護服がダサくてカッコ良かった。アントマンっぽい。あれで毒ガス防げるのは若干疑問視だが。